ymo  Firecrackerとマーティン・デニー

Firecracker。
ymoの曲として、おなじみこの曲。

もとは、マーティン・デニーという人の曲。

そして、この曲は、ymoマニアにとって特別な曲。

ウィキペディア イエロー・マジック・オーケストラ より

1978年2月19日に行われた細野のソロアルバム『はらいそ』に収録される「ファム・ファタール」のレコーディングの際に、坂本龍一、高橋幸宏の2人と、初めて3人で顔を合わせることとなった。
それまでにも坂本と細野は1975年、大滝詠一のアルバム福生ストラット Part IIの録音時に顔合わせをしており、1976年には細野がティン・パン・アレーのツアーでサポートメンバーとして坂本を起用するという関係だった。一方、高橋と細野は学生時代から旧知の仲であったが、ミュージシャンとしての交流はサディスティック・ミカ・バンドが1975年の「ジャパン・ロック・フェスティヴァル」に出演した際、小原礼の代役で細野が演奏した事が一度あっただけだった[3]。
その日細野が2人を自宅に招き、3人はこたつを囲んだ状態で、おにぎりを食べながら(みかんという説もあるが、みかんはあったと三人は記憶している)会合を行った。細野が新たなグループのコンセプトを彼らに伝えたところ、2人は賛同し、ここで初めて“YMO”が結成される。このとき細野は2人に「マーティン・デニーの「ファイアー・クラッカー」をシンセサイザーを使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジし、シングルを世界で400万枚売る」(実際のメモには枚数は書かれていない)という自身のメモが書かれたノートを見せている。

そのYMO結成前夜の1976年に、ティン・パン・アレイのメンバーとこの演奏をおこなっている。
このライブには、アッコちゃんに、教授も参加している。

それから40年後。

贅沢な時間。

ハリー細野 細野晴臣。

ほんとすげぇ。というか尊敬。
普通のミュージシャンだったら、はっぴいえんどの成功だけでもすげぇのに・・・。

そうそう。いろいろな Firecracker を。

細野さん マリンバうんめぇw

そして、若い子に、細野さんを、マーティン・デニーを、ymoを広めてくれる 星野源に感謝。

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